フリをして安心して選んでもらう

国政選挙について、やしおさんのブログを読んでなぜ野党の支持率が一向に伸びないのかがわかった気がする。

 

yashio.hatenablog.com

 

 

特になるほどなと思ったのが以下の部分。

【①一般向けイメージ形成】フリをして安心して選んでもらう

政権交代で選んでもらう」には「任せても大丈夫そう」のイメージが必要なんだとすると、それには「まるでもう政権を取っているかのように振舞う」がある程度必要になってくる。

 

記事でも指摘されているが、野党のイメージ戦略というものはまったくないに等しいと思う。ただ批判するだけ。そのような状態ではどこまでいっても与党の失敗頼みなので与党への逆風という風頼みになってしまう。

 

コロナの第5波による猛烈な逆風のおかげで横浜市長選挙は野党が勝った。しかし、コロナの感染者数が落ち着いてきて、自民党総裁選挙で話題をさらわれている状況で、猛烈な逆風は止むだろう。地力の勝負になれば野党は候補者を一本化したとしてもとても与党には勝てないだろう。

 

「確かな野党」という残念が言葉がある。

本来政党であれば与党を目指して支持を訴えるのが当然のように思うが、自民党が与党であることが固定化されている時代が長く続き、野党はいつまでも野党でそのことにプライドさえ持ち、与党とではなく野党同士の争いに意識があったからこそ出た言葉なんだろうと思う。

与党になることがないから、野党の語る政策はいきおい理想を追い求める理念的で無責任な政策になりがちである。

「確かな野党」というより「確かに野党」だという皮肉もむべなるかなである。

 

共産党のような歴史のある野党ほど固定的な支持者がいて、そうした支持者にうける政策を並べたいという思いがあるのかもしれない。しかし、それは残念ながら多くの無党派にとっては「また野党は現実も見ずに理想的なことばっかり主張している」と捉えられているのではないか。

 

私は日本の政府は小さすぎて失敗しているという認識なので、大きな政府を主張する勢力が伸びることをいつも期待している。

残念ながら歴代の野党第一党大きな政府にしたいのかどうかすらよくわからない状況であった。むしろ自民党と小さな政府争いをしているのではないか思えるような悲惨な時代もあった。最近になって立憲民主党もやっと大きな政府の方向に向かいつつあるようだが、党首が非常に残念な人で、自分は現実主義者なので極端なことは言いたくないという態度をつらぬいているため、はっきりと大きな政府を目指すということは言っていない状況である。

野党の中ではっきりと大きな政府を主張しているのは、共産党とれいわ新選組、国民民主党あたりだが、いずれも支持率がぱっとしない。

 

先日、共産党が政策を発表した。

 

www.jcp.or.jp

 

私からすれば、どれも現政権に対する強烈な批判と目指すべきあるべき姿が示されており、いい政策であると思う。

しかし、小さな政府も大きな政府もよくわからない大多数の無党派にどう響くかは別の問題である。

 

例えば、以下の政策。最低賃金付近で働く多くの人々がこの政策をどう感じるのか、真剣に考えたことはあるのだろうか。

 

○中小企業への賃上げ支援を抜本的に強化しながら、最低賃金を引き上げます。

――最低賃金を時給1500円に引き上げ、全国一律最賃制を確立します。

 

私は経済学者の多くがそうであるように、そもそも最低賃金を一律に政府が決めるということ自体に懐疑的な立場ではあるが、一種の貧困政策として社会の効率性を犠牲にしても最低賃金というものを設けるという立場は一定程度理解できるし、現実に最低賃金という制度は日本でも長く続いている制度である。

安倍菅政権では多少強引ではないかというくらいに最低賃金をあげてきているように思える。それが野党を意識したことなのかどうかはわからない。

 

経済学上自明なことであるが、最低賃金が上がることでなくなる雇用がでてくる。多くの経営者は経営が成り立たなくなることに不安を覚えるであろうし、最低賃金付近で働く労働者も単純に「最低賃金があがれば自分の給料があがる」と期待をするわけではなく「仕事がなくなってしまうのではないか」という不安も持つであろう。

 

共産党の掲げる最低賃金一律1500円には、そうした複雑な事情に対する配慮が一切感じられないのだ。都市部と地方では家賃も生活コストもまったく違うので、現在の最低賃金都道府県別に決められている。なぜ一律1500円とするのか、そうしたことも全くわからない。

 

「フリをして安心して選んでもらう」ということを真剣に考えていないから、私などからみると「いい加減」にみえる政策を出してしまうのではないか。

 

また、この政策には一般の国民が抱くであろう疑問や不安な点への説明が抜けているように思える。選挙向けの政策だから聞こえのいいことだけを書いておけばいい、賛否の分かれるようなものはあえて書かないようにしようというような一種の不誠実さを感じる。

 

具体的にいうと、財源の問題や国防についての認識についての説明が抜けている。

 

大きな政府を主張するのは良いとして、どの程度の予算増になるのか、それをどう負担していくのかということも正々堂々と示すべきではないか。

今回の政策には明示していないにせよ、共産党のかねてからの主張から、財源は法人と富裕層からとるべきものをとるということなのだろうと思う。ただ、これはやり方を工夫しなければ経済を混乱に陥れる可能性が大いにあるナイーブな問題である。

個人的にはヘリマネ論者かつ、富裕層への増税は賛成だが、法人税についてはなくてもいいのではないかとすら思っている派なので、共産党が考えているであろうことにはとても賛同できるとは思わない。

本当に政権交代を起こしたいのであれば、いかにすれば政党としての理想を体現しつつ、ソフトランディングをさせられるかというシミュレーションを本当の専門家もまじえて検討をしなければならないだろう。

 

また、かねてから自衛隊違憲だと主張してきた政党なので、与党になれば防衛費を減らすのではないか。これが国民の素朴な捉え方であろう。個人的には減らすのがよいとは思わないが、減らすべきと考えているなら批判を恐れずに堂々と主張すべきであろう。

 

こうした主張をあえてしていないのは、大多数の無党派層を納得させられる自信がないのではないかと思う。5%弱の固定支持層に刺さる政策でよしとするのではなく、大多数の無党派数をも納得させられる政策にみがきをかける必要があるだろう。

 

 

日本の有権者は決してバカではない。いくら与党がダメでも、野党も理想ばかりで無責任な政策を語っていると思えば、投票しようと思わないのは仕方がないことであろう。

共産党に限らず野党には「フリをして安心して選んでもらう」心構えが必要であろう。

日本の医療提供体制の不都合な真実

この記事では、医療についての数字をみていくことで、日本の医療提供体制について考えてみたい。

 

医療提供体制の強化については自民党総裁選の討論会でも記者から質問がでるなどメディアの関心は高い。候補者の中にはホームページで医療提供体制の強化に関する自らの政策を主張している者もいる。

私は専門家ではないが、各候補が医療提供体制について語る際に具体的な数字が出てこないことが非常に気になった。「医療提供体制を拡充します」という言葉を発することは誰でもできる、では具体的にどの程度の拡充が必要なのか、そうした具体的な数字が出てこないということは真剣に検討をしていないのではないかという疑念が拭えない。

 

自宅療養を余儀なくされるコロナ患者が何万人もいて、メディアでも「医療崩壊」という言葉が連日踊った。

不思議なことに日本よりはるかに多くのコロナ患者がいるアメリカやイギリスで「医療崩壊」が起こっているという話を聞いたことがない。

 

まず、各国のコロナ患者の最大入院者数の実績を整理をしてみよう。

日本 24,081人(2021.9.1)

イギリス 34,336人(2021.1)※

アメリカ 130,834人(2021.1.5)※

※その後更新されている可能性あり

 

ソースとしているWEBサイトのリンクは以下の通り。

病床使用率 全都道府県グラフ|NHK特設サイト

「一日の感染者5万人」でも英国が「医療崩壊の心配ゼロ」の理由(JBpress) - Yahoo!ニュース

米、コロナ感染者2100万人突破 入院者も最多の13万人超 | ロイター

 

国毎に人口が違うので米英が日本と同じ人口だったと仮定した場合の入院者数は以下の通り。

日本 24,081人

イギリス 64,503人

アメリカ 50,427人

 

米英と比較して日本がいかに少ないかがわかる。

 

一方で、日本は病床数が世界で一番多いらしい。

このパラドクスはなぜ起こるのだろうか。

 

次に各国の病床数を整理する。カッコ内は日本と同じ人口と仮定した場合の数字。

日本 983,700 

イギリス 163,873(307,847)

アメリカ 809,880(312,222)

※日本とアメリカは急性期の病床数、イギリスは内訳が不明なためそのほかの病床も含む。

 

ソースは以下の資料

病床数の国際比較

https://www.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20210120_1.pdf

 

たしかに病床数は日本の方がはるかに多い。

 

各国では医療制度が違う。イギリスはほとんどが国営病院のため、政府の号令で一丸となって医療提供体制を構築することができる。日本はほとんどが保険医療で国費が入っているにも関わらず、民間病院へは公的な介入ができない制度となっており、そのことが問題視されている。

一方、アメリカは国営病院ではないのに、入院者数を多く受け入れている。これは病院の規模の違いが要因かもしれない。規模が大きい病院ほど受け入れの体制を整えやすいからである。以下の記事をみると、日本は病院数が多いことがわかる。病院数が多いということは病院の規模はおのずと小さくなる。

医師少ない日本に世界一病院が多いという謎 | 健康 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 

また、一重に病床といっても、その性格はさまざまである。日本では高度な治療が行える病床は多くないことを示す数字もある。

 

ICU等合計病床数 カッコ内は人口10万人あたりの数字

日本 5,603(4.3)

日本 17,034(13.5)

イギリス 4,114(6.6)

アメリカ 77,809(34.7)

※日本は定義が違う2つの数字が示されている。

 

ソースは以下の資料

ICU等の病床に関する国際比較について

https://www.mhlw.go.jp/content/000664798.pdf

 

こうした数字をみると、病床はあっても人が足りないということが報じられることがあるが、そもそも病床が十分にあるとも言えないのではないか。

 

さらに人の面で医療の数字をみていこう。

 

日本の医療を外国と比べられる数字の情報はないの? |ニッセイ基礎研究所

https://www.nli-research.co.jp/files/topics/61120_ext_15_7.jpg?v=1552958439

医師の数はイギリス、アメリカよりも少なく、OECD平均の8割程度しかいないことがわかる。

看護師の数はイギリスよりは多いが、アメリカやOECD平均と同じ程度だ。

 

 

日本では高齢者人口が年々増えてきており、それにともなって医療費も毎年のように過去最高を更新している。

政府では、財務省的な発想で、いかにして医療の財政負担を抑制するかということが長年議論されてきている。

そのため、各国に比べて多い病床数の削減や病院の統廃合といった政策が進められてきている。

しかし、上でみたように人数の面では決して充実していない状況である。

 

医者の卵である医学部生の数字をみてみよう。

以下の資料によると、日本の人口10万人当たりの医学部卒業者数は6.9人となっていて、

OECD平均の13.0人よりはるかに少ない。

また、医学部の入学定員の推移をみると近年はわずかに増加しているがほとんど横ばいとなっている。

 

医療関連データの国際比較-OECD Health Statistics 2019- 

https://www.jmari.med.or.jp/download/RE077.pdf

医学部入学定員と地域枠の年次推移

https://info.shaho.co.jp/iryou/wp-content/uploads/2018/10/b5979f80f4b311d92925a0e35bc71627.pdf

 

医者の偏在が問題視されることがあるが、そもそも超高齢化社会となる中で医師の絶対数自体が不足していくのではないか。

 

医師不足に危機感を持つ人々は医学部の定員増を訴えているのであろうが、実際には定員が大きく増えていない。

その要因として以下の2つの思惑があるのではないかと推察する。

・ライバルとなる医者の数を増やしたくない利益団体である日本医師会の思惑

・医者が増えればそれだけ財政負担が大きくなるので増やしたくない財務省の思惑

 

医師数は少ないのに病院数が多いという非効率な状況を放置していていいのかという問題もある。

 

今回のコロナ危機でほころびがみえた日本の医療提供体制。

しかし、これは一過性のものではなく、今後の高齢化社会において医療が維持できるのかという重要な問題でもある。

そして、これは専門家にまかせておけば解決する問題ではない。

政治が自らの問題としてしっかり捉えて、解決していかなければならない問題である。

 

もうすぐ総選挙があり、各党で政策が議論されているが、残念ながら与野党ともにこの問題に正面から取り組もうという動きはみえない。

政治が考えないのであれば、国民一人一人が考え、政治に圧力をかけるしかないのではないか。

 

あなたはどう考えますか。

 

自公政権のコロナ禍での経済支援策を振り返る その2

引き続き、自公政権の経済支援策について、振り返る。

3.休業や時短をしている飲食店等に対する協力金等の支払い

4.GoToトラベル

 

事業者への支援策の中で最も目立っているのが、休業や時短をしている飲食店への協力金だ。

制限をするなら補償もセットですべしという指摘は早くからされていたが、

安部菅内閣には補償などしていたら財政が破綻しますという財務省のご忠告が響いたのだろう。

制限ではなく要請にして、対象も特に感染への影響が大きい飲食店だけにしましょうと。そうなれば、協力金という位置づけで財政への影響も大きくならない。

この方針が決まった時に財務省はさぞほっとしただろう。

 

協力金といってもいくらでも出るわけではない。上限は知れていて個人営業の飲食店はむしろありがたがっているという話もあるが、大きな飲食店にとっては焼け石に水だということだ。

 

飲食店以外でも完全に休業にすれば協力金がもらえるらしいが、金額は東京都の場合で上限が2万円らしい。これでは個人店舗以外は割に合わないだろう。

 

実質的に個人の店舗や飲食店にしか効果がない協力金となっているわけである。

飲食店への時短要請の内容も実に中途半端なもので、夜8時までというような中途半端なものである。

 

本来であればテレワークについても呼びかけるだけでなく、本気でするのであればインセンティブをつける必要がある。そうしたことが顧みられることも一切なかった。

 

このような中途半端な支援策では、いざという時の人流抑制効果がないのはいたしかたないことであろう。

 

 

最期にGoToトラベルにも触れておかなくてはならない。

これは間違いなく世紀の大愚策である。自民党の総裁選候補たちは自党の否定になるので認めないであろうが、これを的確に批判できない野党は信頼できないと思った方がいい。

 

GoToトラベルに対する批判には2種類ある。「感染状況が落ち着いていないのに実施するのは間違っている」というものと「感染状況は関係なく、そもそも感染を広げるような支援策をすべきではない」というものである。

的確な批判は後者である。

この支援策は旅行の振興に関心の高い当時の菅官房長官の肝いりのものであったらしい。そのため、いまだに政府は公式見解としてGotoトラベルが感染拡大に与える影響を認めていない。まったくもって信じられないことではあるが。

お出かけすれば感染リスクが高まるからお出かけを自粛してくださいと言っておいて、旅行は感染リスクにつながりません。こんな屁理屈は小学生にすら通じないぞ。

 

苦しい旅行業界を支援したい。その思いは全く悪くない。その方法がまったく馬鹿げているだけである。旅行への補助という形以外の支援策も考えられたはずである。

直接的に旅行業者を支援金を配るという方法にすべきだったのだ。

 

おそらく「自助共助公助」をうたう菅総理の働かざるもの食うべからずという素朴な思想がGotoトラベルにつながったのであろう。

「何もしていない業者にお金を配るなんてとんでもない、頑張ってお客さんをとっている旅行業者を支援すべきだ」彼はきっとそう考えたのだと思う。

この支援策が日本の感染者数をひとつ上の段階に引き上げ、それが自分の首を絞めることになろうとは露ほども思っていなかったに違いない。

 

GoToトラベルは旅行代金の50%ものお金が給付される太っ腹なサービスである。利用した国民はさぞいい思いをしただろう。一部の国民にいい思いをさせ、次の選挙ではその見返りとでも考えたのではないかと邪推してしまう。見方を変えれば立派な収賄罪である。

だいたい旅行ができる人というのは比較的恵まれている人である。お金持ちに所得を移転しているようなもので、税金を原資にして何をやっとんねんという話である。

 

旅行会社を通じた旅行だけが対象なので旅行会社に恩をうることにもなっただろう。

 

給付率が非常に高いため、普段泊まれないような宿泊施設が人気になって、手ごろな宿泊施設は逆にお客さんが減ってしまったという歪みも生じていたようである。

 

こうしてみるといかにGotoトラベルが筋の悪い世紀の大愚策であったかが理解できると思う。

 

長々と書いてきたが、こうした支援策の失敗は劣化した政治の帰結である。

そして、こうした政治をうみだしたのは、ひとえに政治と真剣に向き合ってこなかった有権者自身であることは肝に銘じるべきであろう。

自公政権のコロナ禍での経済支援策を振り返る その1

コロナ禍での経済的な痛みは個人差が大きい。

コロナで仕事が増えて経済的に潤っている人もいる一方で、旅行業界で働いている人のように壊滅的な打撃を受けている人もいる。

そうした困っている人をしっかりと捕捉して助けること、それこそが政治に求められていたことだろう。

 

しかし、実際にそうした役割を政治が十分に果たせていただろうか。

そうしたことについての自省もなく、低所得者への10万円給付などというよくわからないことをいうだけの総裁選候補たちには辟易する。

 

政府が何もしていないわけではない。

いくつかの支援策が存在しているが、重要なのはそれがどれだけ効果的であったかということである。

一体どれだけの人にいくらの金額が支払われていたのか、そうした基本的な情報もまったくわからない状況だ。

医療危機の話はよく聞くが、支援策が不十分であれば拡充する。非効率なところがあれば改善するといった話をついぞ聞くことはなかった。

 

自公政権の経済支援策について、振り返ってみたい。

1.個人向けの支援策(生活困窮者自立支援金、住居確保給付金、資金貸付)

2.事業者向けの支援策(持続化給付金、家賃支援給付金、雇用調整助成金の拡充)

3.休業や時短をしている飲食店等に対する協力金等の支払い

4.GoToトラベル

 

ここにいくつかの支援策をあげたが、個人向けと事業者(個人事業主含む)向けで分かれている。

 

個人向けの支援策はいくつかあるが、要件も厳しそうだし、給付期間が3か月までとなっていたり、支給ではなく貸し付けであったりと困窮者を十分に支援するには少なすぎるだろう。事業者向けの支援策に比べても見劣りしていて、個人を大切にしていない印象がある。

 

事業者向けの支援もいくつもあるが、まずは業種をとわずない支援策から。

個人向けの支援策よりは充実しているように見える。

持続化給付金、家賃支援給付金は個人事業主にとってはそれなりの金額にはなるかもしれない。ただし、給付期間には上限がある。また、従業員が多くいる企業にとっては焼け石に水だろう。

 

雇用調整助成金は、仕事がなくなった従業員の雇用を維持して給料を払う場合の費用を雇用保険で支払う制度だ。この制度は金額的には兆単位でつかわれているようだ。

この制度で助けられている人が多くいることは事実であろう。しかし、雇用保険に入っていない個人は恩恵を受けられない。対象外の個人との不均衡への配慮が欠けている。

雇用保険なので従来なら支給期間に上限があるのだが、コロナ対策の特例としてその上限を延長しているようだ。

延長にはいくつかの懸念もある。何もしなくても給料がもらえるという一種のモラルハザードの状態が長く続くこと。助成金の原資は労働者の支払う雇用保険料なので、雇用保険料の引き上げを通じて労働者にしわ寄せがいくことになる。この制度があることで、悪く言えば飼い殺しの人が出てくるし、人手が足りていない業界への移動が妨げられるというデメリットもある。

こうした課題があることを考えると、雇用調整助成金の特例をだらだらと続けるのではなく、雇用保険とは切り分けた、雇用保険加入者以外も含めた支援策への切り替えが必要であろう。残念ながら現政権ではそうした対策が考えられた形跡もない。

 

長くなるので

3.4.については次の記事で書くことにする。

期待薄の自民党総裁選

自民党総裁選挙が告示された。

 

4名の候補のホームページで政策をみたが、選挙のマニフェストとは違って、あまり具体的なことは書いていない。

ただ、社会保障についてしっかりとした問題意識をもっている候補は野田さんくらいしかいないようだ。

残念ながら、その野田さんも出ることに意義があるという状況のようで、政策も網羅的なものではなく、ほかの候補が無視している、弱者対策に焦点をしぼったものになっている。

 

いずれもホームページには具体的なことは書いていないが、討論会ではコロナ対応で低所得者への10万円の給付について野田、岸田、高市さんは賛同していたようだ。

定額給付金といえば安倍総理による昨年4月の給付決定だ。あの政策の是非はさまざまあろうが、国民の協力意識が大きく高まったことは間違いないだろう。私としては総理にしかできない素晴らしい判断だったと思う。

菅総理は給付金にかなり後ろ向きだったとみられ、検討をした形跡すらみられない。

緊急事態宣言の地域にはお願いだけではなく、補償的な性格としての給付金を配っていれば、東京などの感染状況はどうなっていただろうか。歴史にifはないが、非常に気になるところだ。

定額給付については、野党も主張していて、対象や金額もさらに大きい。

正直10万円の根拠がよくわからないし、一律ということきめの細かい行政をしようという意気込みのなさの裏返しでもある。

生活困窮者には生活保護という制度もある中で、給付金の性格や役割をどう位置付けるようとしてるのか、それが全く伝わってこない。それは野党も同じであるが。

多くの国民にとって関心が高い重要なテーマであってもこの調子である。政治家の考えの浅さが浮き彫りになっているようで、非常に残念である。

 

一律の定額給付金は一律の行動制限を要請する際の迷惑料として位置付けるのが一番しっくりとくる。行動制限はあくまでも要請なので、制限している人もいればまったく気にしない人もいる。そのような人に対しても同様に給付金を配ることをどう考えるか。昨年の4月であれば危機感が高かったので、要請にもほとんどの人がしたがったが今はそのような状況ではない。迷惑料的な性格の定額給付金であれば、要請ではなく一定の強制力をもった行動制限規制ができる法律をつくった上で実施すべきであろう。

 

低所得者に限って給付するという考えは迷惑料的な性格としては位置付けていないということだと思う。定額給付金をコロナで困っている人を助けるという位置づけで捉えているのだと思う。

コロナで困っているかどうかを判断することは難しいから、一律低所得者に給付をするという考えは一理あるだろう。

しかし、困っている人を助けるという位置付けであれば、10万円程度の給付で助けることにつながるとはとても思えないのだ。

総裁選候補たちは10万円程度のお金で貧困を解決できるとでも思っているのだろうか。

つくろう、新しい答え

政策 | 新・国民民主党 - つくろう、新しい答え。

 

今日、国民民主党が政策を発表した。

いの一番に「積極財政に転換!」ときた。

もうこれだけで100点。ほかのものをみても抜群にいい政策だと思う。

 

残念ながら小さな政党で注目度も高くないから、ほとんどの国民は存在すら知らないままであろう。政治リテラシーのなさよ。

玉木さんは男前だし、頭も切れる。野党第一党の党首が枝野さんではなく玉木さんなら政権交代は濃厚だったんだろうなと思うと残念でならない。

 

国民民主党というか玉木党首の個人の考えによるところが大なのであろうが、大きな政府を堂々と志向することが素晴らしい。

前原さんも党に所属しているようだが、彼も含め元民主党のほかの所属議員がそのような考えが持っているとは考えにくい。

立憲民主党などは何がしたいのかはっきりせず、与党批判しかしていないような政党とは全く違う。

 

こうした政党が正当に評価されないのが、悲しいかな日本の現実である。

小泉改革に熱狂し、政府は小さければ小さいほうがいい、税金は安ければ安い方がいいと無邪気に信じるイノセントな無党派がマジョリティーを占める日本。

 

自分たちの選択が、保健所の機能を弱体化させたり、コロナに対して手も足も出ない無能な政府をつくりだしているということに気づいてすらいない。

 

そろそろ誰かがはっきりと裸の王様の国民にはっきりと忠告をしてもいいのではないかとすら思う。

 

国民民主党は野党ではあるが、野党共闘には入っていないようだ。このあたりの経緯はよくわからない。

大きな政府という意味では、れいわ新選組と近いのではないかと思うのであるが。

 

一方、自民党総裁選の候補者の政策はこれから示されるのだろうが、これまでの言動をみると、大きな政府に向かうべきだと考えている者にとっては、いずれもパンチにかける、つまらないものになるだろう。

 

自民党の支持者の中にも、中小零細企業の経営者などかならずしも小さな政府を望ましいと思っていない人も多いのではないか。

そうした方々が、今回のコロナ騒動から何かを学び取ってくれることを願ってやまない今日この頃である。

小池百合子が東京を壊す

タイトルは文藝春秋10月号のノンフィクション作家の広野真嗣さん記事のタイトルである。記事はコロナ対策でするべきことをせず、無為無策を続ける小池知事を批判する内容になっている。

 

大阪は失敗に学んだが、東京は備えを怠ったために、医療危機を招き救うべき命を救えなかったと。まったくその通りという感想である。

 

多くの人が指摘するように、コロナ対策に限らず、小池知事は自分のしていることをいかによくみせるかという点にしか関心がないようにみえる。

 

真の政治というのは、橋下徹氏がいうように利害が対立する問題でも全体最適のためには嫌われる覚悟をもって決断をすることである。橋下氏は先日のテレビ番組で菅内閣に対してそうした覚悟をもった取り組みを求めていた。

 

この2年弱小池知事をみてきたが、この人に批判を覚悟で何かを決断して実行するということを期待することは難しそうだ。

東京五輪について中止の判断をするのではないかという憶測が一時流れて、「まさか」とは思ったが、中止に踏み切ることはなかった。

 

コロナ対策についてはそもそも国の制度や支援に足りないところが多すぎて、自治体は苦労が多いと推測する。

であれば、自治体のトップに立つ小池知事はもっと国と本気のケンカをするくらいの気概をみせてほしいところであるが、そういう話はついぞ聞かない。

職員からは悲痛な訴えが上がってきているのではないかと察するが、そうした声に耳を傾けることもないのであろう。

 

小池知事の能力や政治思想に対してはもともと期待もしていないし、期待しても無駄だとも思っているのであるが、彼女のブレーンになる人にもまともな人はいないのだろうか。

知事の業務は多岐にわたる。すべてを自分で考え、決断することは難しいので、ブレーンと呼ばれる人にも相談してしかるべきだと思うが、そうしたブレーンが存在するかどうかもよくわからない。

 

選挙の時には緑色の服を着てサポートしてくれるボランティアらしき後援会の人たちがいるようである。そうした応援団の人たちが何か言えば少しは響くとは思うのだが。

 

彼女が設立した都民ファーストの会も全く存在感がない。

こうした危機的な状況で存在感が示せなくて一体どうするのか。

 

都民ファーストも7月の都議会議員選挙では与党の自滅で議席を大きく減らさずに済んだ。小池知事が病を押して頑張っているというパフォーマンスが効いたという報道もあった。

 

ここまでひどい状況になっても、多くの都民は小池知事に対して厳しい評価をするにいたっていないのである。

彼女の極力表に出ず、コロナ対策がうまくいかないのは国のせい、菅首相を矢面にたたせる作戦がうまくいっているという面もあるだろう。

有権者はなめられたものである。

 

ひろゆき西村博之)氏が言うように「小池知事に票を入れるような人たちに何を期待するのだ」という考えもあるだろう。

私としては、こうした失敗を通して、一人でも多くの有権者が政治というものを考える機会となることに切に期待したい。